自信を失わせる教育
自信はどこから生まれるのでしょう。
もうすでに自信を失ってしまった大人の僕には、それが大きな疑問でした。
幼い頃のかすかな記憶を辿(たど)れば、僕は随分とお調子者で、人形劇や落語、朗読など、人前で何かを演じることの好きな子供だったようです。
それがいつの間にか、失敗を恐れ、自分を表現することから逃げるような性格の大人に育ってしまいました。
小学校の3年生くらいまでの子供達と一緒にいると、その表現力に驚かされます。みんな(大方の子は)自分を見て見て、と積極的に自己アピールして来ます。
塾の教室はうるさくて、うまくリードしないとごちゃごちゃになって、学習どころではなくなるものです。
みんな知っていることを一生懸命表現し、自分を印象付けようと必死です。
それが、高学年になると、だんだん教室は静かになって来ます。
もちろん、TPOが分かってきて、周りの「空気」を読むようになってくるということが大きいです。
それは人間が社会化して行くのに、どうしても必要なプロセスで、そうして成長することで、人は一人前になっていくのです。
けれども、それと同時に、子供たちは大事なものを失っていくように見えます。
それは「根拠のない自信」とでも言うものです。
答えを知っていようが知らなかろうが、僕の目の前に、あげた手をかぶせるようにして、自分をアピールしていた「やんちゃ坊主」はどこへ行ってしまったのでしょう。
時たま、懐かしい「根拠のない自信」が顔をのぞかせる時があって、そんな時、僕は精一杯のエールを込めて、そのドヤ顔を指名するのです。
こういう子供たちを見ていて思うのは、本来、自信や安心というものに、その根拠となる理由など何もないのではないか、ということです。
人はもともと、根拠のない自信と安心を携えて生まれてくる、そう思えるのです。
人が学校や社会の中で「教育」され「しつけ」られていくうちに、それらを必要以上に失ってしまうとしたら、それはその子にとっても、また社会全体にとっても、大きな損失ではないか、と感じられるのです。
少なくとも、その不安や自信のなさによって、本来持っている力が削がれてしまうことのないように、失敗を恐れて消極的になってしまうことのないように願いつつ、彼らに接する毎日です。