おはようございます。
私たちは人の社会の中で、自分の気持ちや考えを他の人に伝えたり、受け取ったりして暮らしています。(それは生きていくのに必要なだけでなく、「楽しさ」「喜び」でもある、というのが重要ですね。)
「言葉」は、その伝え合うための、とても大切な道具です。
(気持ちや思いを伝えるものには、音楽や絵や彫刻、それに「顔の表情」や「ボディランゲージ(身体言語、身体表現)」なんかもあります。)
ほとんどの人は生まれて何年かすると言葉を話し始めます。それが暮らしていくのに必要だからだと思います。
毎日の暮らしがスムーズに進むように、困ったりしないように、言葉を話したり聞いたりすることは、割と自然に上達していきます。
さて、今、私が考えたいのは「言葉を読んだり、書いたりすること」です。
私たちは「必要に応じて」道具を使えるようになるのですから、必要のないものは使えるようにはなりません。
私たちは必要に迫られて、はじめて使えるようになるのです。
「言葉」の得意分野、特に書き言葉(読み言葉)が得意な分野は抽象的な概念です。
「抽象的な概念」というのは、具体的なものが持っている1つの性質や本質だけを取り出したものなので、目に見えたり手に取ったりはできません。
書き言葉はそれに名前をつけて、なんだかよくわからないけれども、その名前によって、抽象的なものはひとくくりのイメージになります。
「愛」だとか「希望」だとか、、、
「書き言葉」を使えば、これ!と言って指差すことのできないもの(「具体的」ではないもの=頭の中でだけのイメージとして存在するもの)を定義して表現して共有することができるようになるのです。
さて、学童期の子供を育てる保護者の方たちが、頭を痛めるのは、まさにこの「書き言葉(読み言葉)」をどうやって学習させるか、ということでしょう。
さあ「楽しさ」の登場です。