昨日は「自分のために学ぶ」と書きました。今日は、その「自分」について書きたいと思います。
ひとくちで「自分」と言うと、なんとなくひとまとまりの感じのするものが、実はちっともひとまとまりではない、という話です。
もっとわかりやすく言うと、自分の中にもいろんな自分がいるのです。
自分の中がまとまらないで、バラバラだと色々な不都合が起こります。
たとえば、やってはいけない、と分かっているのに、どうしてもやってしまったり、やらなくちゃ、と頑張っていると、頭がキーンと痛くなったり、熱が出たり、お腹が痛くなってしまったりするのです。
仮に自分の中を、頭と心と体に分けてみます。頭は色々と理屈をこねて、心や体を従わせようとします。
勉強や学習も御多分に漏れません。頭が実権を握ります。どうやって、頭の思い通りに自分を(心や体を含めた自分全体を)操縦するか、ということです。
そういう「自分操縦法」のなかで最悪なのは「脅迫」です。
これはでも、実際とても効果的なやり方なので、至る所で使われています。テレビやネットの宣伝にも使われますし、ついつい子供を脅していうことを聞かせている大人もいます。
早くやらないと大変なことになる。とか、これができないとどこそこへは行けない。とか、、。
そういう脅しを使って、自分自身や他人を動かそうとするのです。
「脅迫」を使って、自分を動かす方法を学ぶと、自分の中の協調関係が崩れます。
最初にあげた「やりたくないのにやってしまう」とか「やろうとすると頭が痛くなる」などは、自分の中が分断された具体例です。
また「脅迫」によって自分を動かす時、人は嫌々動くので、とっても効率の悪い動き方になります。
ブレーキを踏みながらアクセルを踏むような不経済、非効率な状態です。外から見て動いていないように見えても、内側では押し合いへし合いが続いていて、疲れます。
心の(「潜在意識」というのもありますね。)力は絶大です。体は正直です。うまく頭の理屈に騙されたり、脅しに屈するように見えて、しっかりと抵抗します。
昨日、意欲のない子供達を「エンジンの載っていない車」に例えましたが、その実、エンジンはちゃんと載っているし、いつもフル回転しています。
「脅迫」に代表されるような、頭の独裁に代わって、私は自分民主主義を提案します。
心は自分自身が向かうべき方向を知っています。好奇心やワクワクした感じが、その羅針盤です。
頭はどうやって、そこへ行けばいいかをしっかりと考えます。
あとは体が十分に慣れて覚えるまで、つまりは「身につく」まで、学習を習慣にすればいいのです。
一つにまとまった「自分」は最強です。