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安心するのに理由はいらない

今ほど、情報が溢れかえった時代はないだろう。情報が多ければ多いほど、人は不安になる。
なぜなら、その溢れるような情報の海から、正しい選択をしなくてはいけないと思うからだ。
リテラシーは確かに必要だけれど、賢くなければ、というプレッシャーは人を緊張させ、不安にさせる。
人は情報の氾濫の中で、正しく選ばなくては安心できないと思うようになっている。

本当にそうなのだろうか。
不安を解消しなくては、常に正しい判断をし続けなくては、人は安心することができないのだろうか。

毎日教室で生徒たちと学習する時、僕はよく生徒たちに言う。
「間違ってよかったね!」と。
隠れていたものが見えるようになったから。
常に、問題は解決を携えて現れるのだから。

「アクセプタンス(受容)のバスケット」というワークを受けたことがある。
目の前にカズラで編んだ気持ちの良いバスケット(籠)がある。
この籠は、なんでも受け入れてくれる籠だ。
しんどい思いも腹立ちも、悲しみも絶望も。
それがどんなものでも受け入れてくれる。
受け入れることなどできないという思いも、不安をなくすことができないという不安も。
僕は「受け入れられない」という思いや、その「受け入れられない自分が受け入れられない」という思いや、それが延々と続く「受け入れられない」を、ずっとずっとその籠に投げ入れ続けた。

不安の連鎖から解放されるために一つの提案がある。
安心から始めるのだ。
赤ん坊が全てを委ねて、無防備でこの世に生まれてくるように、安心の理由を探すことをやめるのだ。

安心するのに理由はいらない。

想像してみる。

安心したら、あなたは、僕は何をし始めるだろう。