学習全般の土台になる力として、最も大切なものは「国語力」です。
私の教室では、英語はもちろん、すべての教科で音読(おんどく)をします。
教科書も問題集も、開いたページに書いてある言葉は、すべて「読める」「書ける」「意味がわかる」状態にするよう、指導しています。
声に出して読むと、そこで初めて、自分が「読めない」と気づく生徒がたくさんいます。
「その言葉はどういう意味ですか」と聞かれて、初めて、自分が分かっていないと気づく子もたくさんいます。
毎日の暮らしが、自分の使っている言葉で用が足りていると、人はそれ以上に言葉を知ろうとしません。
言葉の量がどれほど少なくても、それで困らない限りは、言葉は広がっていきません。
もちろん、言葉以外にも、自分を表現する方法はたくさんあります。
今の子供達は、むしろ言葉以外の表現に長けているのかもしれません。
けれども、人は言葉で考えますから、言葉の量が少なければ当然、考えられることも浅く、内容の乏しいものになります。
教科学習も言葉による学習が中心ですから、使える言葉が少なければ学力は伸びません。
なによりも、人だけが持つ、言葉によるコミュニケーションの力を高めないのはもったいないことです。
宝の持ち腐れです。
意識して「知らない」「読めない」言葉に気づくこと。そして、それをそのままにしないことが大切なのです。
しかし実際、これを教室に来たときだけやっていても、とてもとても国語力を高めるところまでは行きません。
生活の全般の中でもっと言葉を使うこと、意識してその環境を作らないと、国語力を高めることは難しいのです。
生徒たちにはこう言います。「あなたは教科書が読めますか。」
保護者の方にも、同じ質問をします。「あなたのお子さんは、教科書が読めていますか。」