自ら学ぶ力を(1)

学校から与えられる課題(宿題)で、私が理解に苦しむものがあります。
たとえば、それは夏休みの数学の課題なのですが、一冊の問題集を与えられて、それを仕上げる課題で、それ自体には何も問題はありません。
けれども、私が理解に苦しむのは、その問題集の「解答と解説」が配布されていないことです。
生徒はただひたすら、自分が出した答えが合っているのか、間違っているのか判断できずに、1ヶ月あるいは1ヶ月半過ごすわけです。

あなたはこのような課題をこなすことができますか。
正直、私は耐えられません。
それをやり遂げて提出しなくてはいけない生徒たちをとても気の毒だと感じます。
こんなことをさせられて、学習に意欲が持てるとは、とても思えません。

なぜ、そのような効果のない、無駄な課題が出されるのかといえば、恐らくは教師側にはとにもかくにも「課題を出さねばならない」という大前提があり、生徒側には「答えがあれば、ただ丸写しする」という、およそ学習とは言えない実態があるのでしょう。

この不毛な課題が生み出す「効果」は、「与えられたものは、その理由や意味など考えずに、ただひたすらやり遂げる」という「忍従の態度」「奴隷的な服従の精神」のみでしょう。
いや、それは互い(教師と生徒)の不信頼を築き上げ、ひいては人間同士の不信頼を招くことにさえもなります。
悲しいことに、その不信はすでに確固として存在しています。

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